『お通り』とは、東城町に400年以上続く伝統文化行事で、関ヶ原の戦いの後、
広島藩主に任ぜられた福島正則が、三家老のひとり長尾隼人正一勝を東城一万石の城主として任命。
慶長6年、五品嶽城主となった長尾隼人正一勝が関ヶ原戦勝を祝して、祭礼御興行列に武者行列を加えたのが始まりとされます。
福島氏改易後、広島藩は浅野家となり、東城にも東城浅野家が家老として着任し明治まで続きました。
浅野家の時代に秋祭りは十一月一日の川西八幡宮から五日の世直神社まで五日間に亘って催され「五日催し」と呼ばれました。
享保四年(1719年)東城町浅野家の祈願により、川西八幡宮・天神社の神輿が東城へ神幸することとなり、
御旅所まで渡御、世直神社の祭典終了後、両神輿が行列を組み、町内の街筋を巡行し、
夕刻までに八幡宮に還御する最終日の神輿渡御行列を『お通り』と呼ぶようになりました。
現在は、お通り保存振興会による例年趣向を凝らしたイベントとしてのお通りとして
大名行列、武者行列、母衣行列、華童子(はなわらべ)からなる行列を組み
勇壮・華やかな時代絵巻として毎年十一月初旬に総勢約200人が市街地を練り歩きます。